亀倉雄策賞ありがとうございます。深く感謝いたします。
先生から37年前にいただいた名著、『デザイン随想 離陸 着陸』のぶ厚い本を久しぶりに読み返してみた。先生直筆の万年筆のサインも薄くなっていた。礼状が来ないと先生が怒っているという噂を聞いて、あわてて礼状を書いたことを思い出した。巻頭の粟津潔さんとの対談にはタイポグラフィに関する重要な発言があったり、「一冊の本(バウハウスと私)」の章では、19歳の時に神田の古本屋で見つけた、ハーバート・バイヤーの表紙で有名な『STAATLICHES BAUHAUS IN WEIMER 1919–1923』に、自分の運命がひそんでいるように思えてならなかったと記されている。この本は重要なのか、いつもガラスケースの中にあり中味を見ることは出来なかった。幸運にも2009年8月20日に元大分県立芸術文化短期大学学長の利光功さんの手によって翻訳が完成し、バウハウス創立90周年の記念すべき年に刊行された。20世紀の芸術文化・教育文化の輝ける一事跡であるバウハウスを改めて見直す端緒になるなら、訳者としてこれにまさる悦びはない、と利光功さんは書いている。
「われわれはどこへ行くのか。そして何をするのか?」僕たちアートディレクターやグラフィックデザイナーは、毎日この言葉を口にして唱えなければならない。まったく形のない事柄に形を与え、人々に伝えていかなければならない。以前から粟津潔さんを中心に研究会を行っていたミサワホームが、ヨーロッパのコレクターたちが収集した作品を核として「ミサワ バウハウス コレクション」を誕生させたのは1989年。現在、1,500点に及ぶ作品群を持つ。バウハウスは、1919年–1933年のたった14年間しか存在しなかったが、デザイン教育でこれ程世界に伝播した教育はない。東洋的なモノ。西洋的なモノ。この両方をうまく形に出来るのは日本しかない。そんな気持ちで3年間バウハウスのポスターを創り続けている。
浅葉克己
ASABA Katsumi