亀倉賞は私にとって夢のような事件だった。以前田中一光さんから「勝井君は学生みたいな人だ」という評を亀倉さんの言葉として聞いたことがあった。それがどんな意味で言われたかは定かではない。『Creation』の最終号である20号のまえがきに、亀倉さんは「私の人生で本当に充実した、幸福感がいっぱいにつまった5年間だった」と書いた。「編集者の視点」に徹した亀倉さんは自分の作品を掲載することはなかったが、1号から多数のデザイナーの作品を見ながら、それらの人々の作品の傾向が今現在著しく変化しているのに気づき、内外のデザイナーを選び、「人生の階段」というタイトルで最終号に掲載した。そして「編集者の視点」というエッセイの終わりに「そうして私は、人間の才能と努力とそしてチャンスの3つの点が作家の人生を決めてしまうという常識を改めて確信した。……掲載したデザイナーの全部がこの3点をしっかりと掴んでいる。そうして弛むことなく、新しいチャンスに挑戦していく。その挑戦の繰り返しこそ、人生の階段を一段、一段と登っていくことにつながるのだ。」と結んでいる。私はそのひとりに加えられ、その最終号の表紙を飾ることとなった。
あれから10年が過ぎ、2003年秋に作品集『勝井三雄・視覚の地平』として出版した。その後2004年秋、私のデザインの総体を展示する展覧会が富山県立近代美術館で開かれた。その折50年にわたる、グラフィックデザインの時代からヴィジュアルデザインへというメディアの変革による多様な種類の作品を振り返って、あらためてデザインの創造から展開に至る因果を見つめることになった。そこから、作品集とは違った視点で展覧会カタログ『視覚の領界』がまとめられた。その一連の創作の中で生まれた新作品がこの度亀倉賞に推挙され、亀倉さんの「生きざま」に敬意とこころからの感謝を申し上げたい。最高の栄誉であることは言うまでもない。
勝井三雄
KATSUI Mitsuo
1931年東京生まれ。東京教育大学卒業。1956年味の素入社。1961年フリー。グラフィックデザイン全般をはじめ、1970年大阪万国博、1975年沖縄海洋博、1985年つくば科学博のAD、1990年花博シンボルマーク等を手がける。テクノロジーを使った表現を生かし新たなコミュニケーションの領域を拓く。武蔵野美術大学名誉教授。カメレオン・プロジェクト代表。JAGDA理事。日本展示学会理事。東京ADC、AGI各会員。東京ADC会員賞、毎日デザイン賞、講談社出版文化賞、勝見勝賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、NY ADC金賞、ラハチ、ブルノ、メキシコ、ワルシャワ、各国ビエンナーレで金賞・グランプリ等、受賞多数。
(2005年6月現在)
掲載書籍:『Graphic Design in Japan 2005』